古くからの友人、小倉さんがプロデュースした記録映画『オオカミの護符』を見てきた。
あいにくの雨の中、開場15分前にホールに着くとそこにはもうすでに大勢のお客が傘を差して待っていた。これは盛況の予感。しばらく待つとやがて扉が開き、小倉さん本人がお客を招きいれてくれた。おめでとうと一言だけ挨拶を交わして傘をたたみながら中に入る。監督の由井さんの姿もロビーに見えたけれど大勢のお客に挨拶をしているので声を掛けるのは遠慮した。
900席以上ある客席はあっという間に一杯。70歳以上は無料という大盤振る舞いのせいか、年配の方が多いように見える。
さて、開演時間になり、由井さん、あいや、由井監督が舞台の端に立って挨拶をする。こうして遠目に見てもやっぱりハンサムだ。
7年掛かった映画製作のうち自分が係わったのは最後の2年だけで、最初のころはずっと小倉さんが一人でこつこつと取材をしていたというお話などを聞く。
さぁ、会場が暗くなって映画の始まりだ。
始まりは竹やぶのショット。
川崎の土橋というところで生まれ育った小倉さん。そこはほんの数十年前まではタケノコの産地として有名なところだった。
自宅の蔵の入り口にオオカミの絵のかかれたお札があって、それはたぶん彼女は子供のころからごく当たり前に見ていたものだったのだろうけれど、それを不思議と思い、丹念に調べてゆく。
お札の発行された御岳山神社への取材や、なぜ農家の家々にお札が貼られているのか。お札はどのようにして各家に配られるのか。
また私がとても興味深かった、太占(ふとまに)という、鹿の肩甲骨を焼いて現われるひび割れで農作物のよしあしを占う神事など。
一つ一つ調べてゆくうちに浮かび上がった疑問を本当に根気よく調べていっているのが伝わってくる。
そういえばこの何年か、彼女から貰った手紙やメールには、お百姓の暮らしを調べているとか、今残しておかないと消えてしまうものがあるとか、そんな言葉があったように覚えている。
その使命感のようなものが彼女を一本の映画に駆り立てたのだろうと実感した。
たぶん。これは私の想像なんだけど、初めのころは漠然とした興味心で古い農家の暮らしぶりなどを調べていたのだろう。その中からよく一本の主題を見つけて、そしてそれをよくぞ映画という形にまで作り上げたものだと、その根気と努力に唸ってしまった。
満席となった会場は、舞台となった川崎の土橋のすぐそばにある宮前市民館だ。
映画が終わったあと、ロビーではたぶん映画のどこかに出演していたのだろう、「よく映っていたよ」と声を掛け合うお年寄りの姿を数人見かけた。
なんでこんな辺鄙な会場を選んだのだろうと失礼ながらも思っていたのだが、地元に目を向けた小倉さんらしい選択だったのだなと納得しながら帰ってきた。
よい映画会でありました。